交通事故を起こし記憶を失くしたまま目覚めたリアム。助けを求め近くの町に入るが目にするのは住民の死体ばかり。謎のウイルスか何かが大気中に広がっているのではと疑い不安になる。ようやく生存者を見つけたものの近寄ろうとした途端、突如目の前で死んでしまう。
何が起きたかわからないまま、リアムに近寄ったことで続々と増える死者。分かったことはリアムの半径50フィート以内に近寄った者は皆死んでしまうということ。
誰の助けも借りられず困惑するリアム。しかし、半径50フィート以内でも死なずにいる女性ジェーンと出会い、同じく記憶喪失の彼女と共にこの謎を解き明かそうとするが・・・
引用:Filimarks作品紹介ページ より
俺の半径50フィートに近寄るな!
「私の半径2メートル以内に入ってこないで!」
なんて言われたら、ショックですよねー。特にそれが恋愛対象の女性から言われたら、もう脈なし決定ですわ。。。
この映画の主人公は、言われる側ではなくて言う側なんですよ。彼に近づいた生き物は人であれ、動物であれ、突然死んじゃうので、近づいてほしくない。
ところが、物語中盤から、主人公に近づいても死なない女性ジェーンが登場し、そこから物語は転がるようにどんどん展開していきます。
二人に何があったのか?
この解明をドキドキしながら見る楽しさが、この映画にはあります。90分程度の映画を私は大好きなのですが、この映画を見ながら気づいたのは、
90分程度だとテンポよくストーリーが進み、中だるみがない
からなんですねー。
しっかし、フィートとかマイルとかの「アメリカ独自単位」ってやめてよ、と思わずにはいられません。
もし、仮に、この映画の場面が現実にあったとしたら、
え?50フィート? って何メートル? え? 聞こえない
ってやり取りしながら近づいていって死にそうwww
ちなみに、1フィート約30cmですので、主人公とは15m程の距離を開けなければ突然死してしまいます。
もっともらしさによる錯誤
一時期、行動経済学にハマったことがあり、この本を繰り返し読みました。
従来の経済学が「人間は常に合理的な行動を取る」という立場なら、行動経済学は「人間は、感情等によって、時に不合理な行動を取る」という立場です。
この本の中では、その「時に不合理な行動」がたっぷりと紹介されていて、思わず頷かずにはいられないのですが、中でも「うんうん」頷いたのが、「もっともらしさによる錯誤」です。
リンダは31歳の独身女性。外交的で大変聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会主義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したもこともある。
というリンダの描写を与えられている時に、「リンダは何者でしょうか?」と質問された場合、
- リンダは銀行員である。
- リンダは銀行員で、フェミニストである。
という2つの選択肢に対しては、「2」と回答する人が多いのです。
銀行員で、かつ、フェミニストである確率のほうが低いのに、「もっともらしい」という理由だけで、そう選択してしまうのです。
で、この映画。「二人に何があったのか?」にたどり着くまでのドキドキ感が最高潮に達する頃合いで判明する要素がたくさんありすぎて、上記のように「もっともらしいね!」と錯誤に陥る前に、「うーん」と唸ってしまいました。。。
いっそのこと、「半径15メートルの範囲内で離れられない男女のラブストーリー」に転換しても面白かったのかもしれません。
とはいえ、ラストのラストまでいろいろな仕掛けがあって、見ごたえ十分の映画であることは間違いありませんよ!
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